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きわめて一般的な日常

きわめて一般的な日常を綴っていたはずなのですが、いつのまにかアニメやゲームの話ばかりになっていました

一週間フレンズ。 第02回『友達との過ごし方。』

すべてを忘れてしまった香織の冷たい視線に一度は怯んで逃げ出そうとした祐樹だったが、友人の将吾に背中を押してもらったことで再びおそるおそる香織に接近を果たす。はじめは訝しんで警戒感を隠そうともしなかった香織も、家族しか知らないはずの自分の秘密を裕樹が知っていたことから、彼を秘密を打ち明けられるほどの大切な友人と認めて先週を共に過ごしていたこを信じざるを得なかった。
二人で並んで昼食を摂る二回目の水曜日。ふとした思いつきから、裕樹は香織に日記を付けることを勧めてみた。ほんの少しだけでも記憶が残るようになるかもしれない。


そんな、淡い期待を抱いて。


楽しかったことほど“鮮明に忘れてしまう”って、どんな感じなんでしょうね。
わたしは記憶こそが人間だと思っています。記憶喪失になった人はもはや前のその人とは別の人間だと考えますし、近未来SFで時折見かける『記憶消去刑』などは死刑となんら変わらないものだと思ったりします。


全部忘れるならまだ別人として過ごしていくこともできるでしょう。でも、その中で楽しいことだけが選択的に毎週必ず消されるとしたら?

世の中つまらないことだらけと考える不幸な人が、毎週必ず“作りだされている”と言うことじゃないでしょうか。


まあ、香織にとっては忘れていることすら忘れている*1ことが不幸中の幸いなのでしょう。毎回訪れる苦しみも彼女にとっては初めてのもので蓄積されるわけではない。


そこに、日記というファクターが突然放り込まれます。


彼女はここにきてはじめて、自分が忘れていることがなんなのか気付くことになりました。
それは、楽しかったことが自分にもあったと知ることができる一方で、毎週必ず思い出が消され続けている苦しみを、日記に書かれた分量が増えただけ噛みしめていくことにも繋がるのです。

たとえ一部だけでも書かれていた事を思い出せるならまだ救われるのでしょう。ところが、彼女にわかることは“自分の知らない香織という名の別の女の子”が友人と楽しそうに過ごしていたことだけ。
あるいはそれを予見していたからこそ、裕樹から日記を勧められたときも余り乗り気に見えなかったのかもしれませんねぇ。


とまれかくまれ、裕樹は大きく反省をして、香織はそんな彼を許しました。

これからは手抜きをせず、恐怖心にも打ち勝ってみせて、裕樹は毎週月曜日に何度だって香織へこう伝えるつもりです。



俺と、友達になってください



そこから、はじまるんですね。

*1:覚えていないとはちと違う