読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

きわめて一般的な日常

きわめて一般的な日常を綴っていたはずなのですが、いつのまにかアニメやゲームの話ばかりになっていました

のんのんびより 第04回『夏休みがはじまった』

明日からは旭丘分校も夏休みに突入します*1。つまり、本日は終業式ですね。終業式と言えば、通知表。笑うもの泣くもの、驕るもの、おののくもの。二つ折りの厚紙に書かれただけの単純な数字が子供たちの心を揺り動かして止まないのは、たった数人の分校でも1000人規模のマンモス校でも、なんらの違いはないのであった。


通知表が5段階評価から10段階評価になったことで、ずいぶんと大人になった気分に浸っていた記憶がある中学一年生の夏。そんな恥ずかしい過去も、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せます。まあね、まだ数年前の話だもんね! うん。

ときに、こういう評価方法は全国一律ではないんですね。
中学校以降でも五段階のところはざらだし、小学校だと三段階や四段階のところもあるし、なのに通知表で一番いい成績と言えば「5」なのは、五段階評価で育った人がどれだけ多いかの現れなのでしょうね。



そんなわけで、今回はれんちょんと夏休みに田舎へ遊びに来た都会の子とのお話。


いきなりですが、都会の子のことは横に置かせていただきます。

ほら、小川にかかった小さなこの橋がいいんですよ。
赤さびが所々目立ってきた白いガードレールの柵がまずよろしい。こういう橋って、ど真ん中で武蔵坊弁慶よろしく腕を組んで立ちふさがってみても、まず遮ることのできる人通りがない。数時間に一人野良作業のお年寄りが通ればまだよし。そもそもが、人工的な音がまるで聞こえてこなかったりするんです。クルマの音、工事や作業の音、人の営みが建てる音、人間の声まで含めて、耳が痛くなるほどに静か。
たまに味わうと最高です。田舎のそういう静けさって、どれだけの防音を施されたお金のかかった部屋でも、決して再現のできない怖さがあるんですよね……。



△▼△


実はわたしにも、東北におばあちゃんの家があったんです。あった、というのは、今はもう祖父母ともに亡くなってしまったから。あ、もちろん家自体は息子や孫の世代が継いでいまも健在なんですけどね、でもやっぱり、おじいちゃんおばあちゃんがいなくなれば、もう疎遠になっちゃいますよね。たぶんもう、それこそ不幸でも無い限りは行くこともないだろうなぁ、なんてしみじみ思ってみたり。

ああ、ホントになつかしいなあ。今回のほのかちゃんのように、小さい頃は毎年のように行ってたんですよね。で、隣の家には年の近い女の子がいて、ちょっとだけ離れたお兄さんもいて、仲良く遊んでた。それはおぼえてます。
これが、いつの間にかぷっつりと途切れるんですよね。あっさりと、きっぱりと。小学校も高学年になれば、徐々に親と過ごすより友達と過ごす方がいいと感じるようになります。ここでいう友達というのは、学校で毎日顔を合わせる親しい子たちのことで、一年に一度会うかどうかの遠くの友人じゃないんです。大人になってしまえば逆にそういう関係こそ大事に使用って発想も湧いてくるんですけどね。

そんな成長に伴う心境の変化じゃなくても、親の都合一つで毎年行っていた田舎が一年おきになり、二年おきになるのはよくあることだし、やがて、何の前触れもなく、その関係はぷっつりと切れたりします。多くの場合はそれで一生接点がなくなるものです。だからってそれまでのことは無駄じゃないし、楽しかった思い出もずっと続くんですよね。


きっと、れんちょんとほのかちゃんも、いつか……ううん、もしかしたら、来年の約束すらなかったことになって、もう会うこともないかもしれない。

だけど、それでもいいの。わたしはそう思うんですよ。
もちろん会えるにこしたことないけどさ!

そんなわけで、またいつか。
……そういえばこんな分校だと相対評価とかどうなってたのかなぁ。

*1:注:今朝も我が家は暖房を入れてます。