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きわめて一般的な日常

きわめて一般的な日常を綴っていたはずなのですが、いつのまにかアニメやゲームの話ばかりになっていました

TARI TARI 第05回『捨てたり捨てられなかったり』


大智のバドミントン県大会ベスト8を肴に盛り上がる合唱時々バドミントン部の4人とは対照的に、和奏の様子は日増しにおかしくなっていった。話しかけても言葉少なに自嘲的な笑みを浮かべるだけで、近づこうとする誰をも拒絶するオーラを身にまとった彼女に、友人たちも父も、どう接したらいいのかわからないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスによれば、死の宣告を受けた人が自分の運命を受け入れるまでには、5つのステップがあると言います。
曰く、否認・怒り・取引・抑鬱という4つの段階を経て、ようやく5つ目の受容の段階に達するのだとか。


これは決して病に倒れた本人だけに言えることではありません。
遺されることになる家族や愛する人にとっても、本人の苦しみとはまた別の悲しみを受容するためのプロセスが存在するのです。


あれもしたかった、これもしておくんだった、という本人の思いと。
もっと優しくしてあげたかった、もっと素直に話してあげたかった、という周囲の思いと。


そのどちらもが一朝一夕には収まりのつかないものなのです。



しかるに、和奏と彼女のお母さんの場合はどうだったでしょうか。
和奏は最後の最後まで母の病気のことを知らされないままでした。それは受験前の娘にショックを与えたくないという母の心底からの愛情だったのでしょう。きっと本人だってすべてを明かして最期の時を愛娘と心安らかに過ごしたかったはず。どれほどにつらく悲しい思いを続けてきたか、想像するに余り有ることです。
でも。結果的に死者にむち打つようなことになってしまうため*1、これを口に出すのは相当にはばかられることなのですが……そんな母の『優しさ』が、結果的に娘をより強く苦しめることになってしまった、そうなのだとわたしは思います。


受験が目の前なのにしつこく絡んでくる母。
受験と関係の無い音楽をなぜか押しつけてくる母。
うっとうしさについ何度も投げてしまった心にも無いとげとげしい言葉の数々。


普通ならば、受験生という期間限定の特権階級を思う存分享受したほほえましい思い出、で終わったはず。


だけど、悲しいことだけれど、そこは普通ではなかった。
どうして、あんなことを言ってしまったのか。母は自分の言葉にどれほど傷つけられたまま逝ってしまったのか。
和奏は今日も自分を責めさいなみ、ついには限界にと達してしまいます。



── 母の形見を、思い出を、自分の目に見えないところに押しやってしまおう



ピアノが一つ無くなるだけで、この部屋はこんなにも広くなるのか



あのとき言えなかった行ってきます。
もう伝えることのできないごめんなさい。


なにもかも捨て去ることと引き替えに、それがようやくいま、いえた。




J( 'ー`)し 



今回、2ちゃんねるの『かーちゃんシリーズ』ネタをちょっと思い出さずにはいられませんでした。
親不孝ばっかだったのに、なんの恩返しもできていないのに、母が急に逝ってしまった。後悔してもしきれない、どうしよう悲しい。そんな話の数々です。


それを読んでみんな思うんですよ。親孝行しなきゃって。
思うんだけど、なかなか行動には移せないんですよね。そして、いつか自分も後悔する一人になるのかも。
あるいは、後悔しない生き方なんてぜったいできないのかもしれませんけれど。



さて、来週はどうなりましょうか。
父! うまくやっといてよ! しっかりしてるようでもあんたの娘はまだまだ子供だよ。そのへんわかってるよね!?
彼も彼で、妻と共謀して、ずっと言わなければいけないことを和奏に伝えなかった負い目を背負ってるんですよね。
父娘一緒にそんな重荷を肩から下ろすことができるようになればいいなと、そんなことを思います。


友人一同もそうだぞ。こんなときに力になれなくて何が友達か!
でも、相手を思うあまり土足で心に踏み込みすぎるのもよくない。だからって物わかりよく引きすぎるのもよくない。
どうするかって? 自分で考えろ! なんだこのノリ。


では、また来週。


ああ、ウィーンもなんか、ワケありっぽいねえ。

*1:架空の人物ではあるのですが