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きわめて一般的な日常

きわめて一般的な日常を綴っていたはずなのですが、いつのまにかアニメやゲームの話ばかりになっていました

孤独のグルメ 第09回 『世田谷区下北沢の広島風お好み焼き』


井之頭五郎は夢を見た。食べても食べても腹のふくれない夢を見た。それは幸せな夢なのか、はたまた餓鬼のごとく満たされることのない欲望に苦しめられ続ける悪夢だったのか。目を覚ませば、そこには彼をこの下北沢の小劇場に招いた知人の劇団長がいた。
そうだ、俺は観劇を終えた途端に睡魔に襲われて眠ってしまっていたのだ。劇の内容はあまり良く覚えていない気がするが、ラストシーンで見た主演女優の美しい笑顔だけは鮮烈に記憶に焼き付いているなぁ



小劇場を後にしていつものように何を食べようかと思案をはじめた井之頭の目に留ったのは、、下北沢の街をあてども無くとぼとぼと歩いている一人の女の子。彼女はなんと先ほどの劇の若い主演女優だ。たしか、舞台が終わった直後に劇団長と言い争いになって飛び出していったと聞いた。こんな近くにいたのか。


さて、どうしたものか。歳も離れている部外者の俺になにができるというのか。
思い倦ねた井之頭は、ただだまって女の子の後をつけてみることにしたのだった。


今回はちょっとだけドラマ仕立てですね。
いつもだと、ゴローちゃんにとっては誰も彼もが食事前の前座以上の意味を持っていないモブキャラ扱いだったというのに、今回は最後までそれなりに引っ張ってストーリーのオチもしっかりといい話だなーと納まるところに納まっていたように思えました。



尾行の基本はチームプレイだと聞きます。どんなに鈍感な人でもずっと同じ人が後ろについていればさすがに気づかれてしまいますから、タイミングを見計らってバトンタッチしながら数人がかりでようやく行き先を突き止められるものだとか。そんなことをもちろん知っているわけもなくストーカーの経験があるわけでもないゴローちゃんが、女の子に早晩気づかれ不審者として誰何されるのも当然のことと言わねばなりません。


喫茶店へと入った二人の間に会話らしい会話は成立しません。ゴローちゃんは何があったか質問することすらできず、もちろん悩みの相談を引き受けることも無く、ただ黙ってコーヒーカップを口に運ぶだけ。考えをまとめてようやく口に出した一言は、


ラストシーンのあなたの笑顔、とってもステキでした


これは、諸刃の剣ですね。ほら、女の子の方もどうしたらいいのかわからなくてビミョーな反応だ。あと一歩踏み込んでフォローのイケてるセリフでも投げかけられるなら、まさに最高のジャブにもなり得るのでしょうが……残念ながら、ゴローちゃんはそんなことができるほどに女遊びに通じているわけではありません。なにせ雰囲気に耐えきれなくなり早々と立ち去ることを選ぶしかなくなってしまったほどです。ただ、尾行中に買った立ち食いおやつをお土産として残していくのが、美味しいものの幸せ感に深く通じているゴローちゃんならではだったでしょうか。



さあ、気を取り直して、自分を店に押し込める作業に戻りましょう。目移りしすぎて目の回りそうな食べ物屋さんでいっぱいの中、今回選んだのは、広島風お好み焼きの『HIROKI』です。


広島風と言うからには、分厚いのをど〜んと焼いてもらおうじゃないか


さほど広くもない店内の席はほとんど埋まっています。
かろうじて空いていた一番奥の席に長身を押し込むように腰掛けてから、よだれが落ちそうになるのをガマンしつつメニューを繰ってそこに書かれた文字を目で追うことによる高揚感! そうだな、広島風だもん、麺が入るよな。そばもよし、うどんもよし、イカもタコもエビも、ホタテだってあるぞ。言うまでもなく野菜や肉は標準装備だ。お好み次第でなんだって焼いてくれる。これぞ、まさに『お好み』の『焼き』。



決まった。
まずお好み焼きは、そばかうどんを選び、そこにイカ・エビ・ホタテ・しそを絡めた『HIROKIスペシャル』。
次いで鉄板焼きは、タコ(広島ネギとゆずポン酢)・ホタテ(ガーリック焼)・牡蠣(香草バター焼)の豪華『海の看板役者クラス』三つどもえを注文だ。




だが、これでいい。好きに食べてこそお好み焼きだ。
一段落して注文したモノができるまでの時間に、先ほどの女の子に対しあれでよかったのかとゴローちゃんは悩みはじめます。いつもの彼なら店の暖簾をくぐった途端に世俗の些事など吹き飛んでしまうというのに、今回の彼はやはりひと味違いますね。大人としてアドバイスがもっとできたのではないか、彼女はまだあの喫茶店にいるのだろうか。




果たしてその頃、彼女はようやくゴローちゃん残していったものが何かに気づき、思わず自然な笑みがこぼしてしまったところでした。彼が尾行中に買い求めていた『たこやき』と『ニックンロール』は、彼女がついつい足を止めて見つめていたお店で買ったものです。きっと大好物なんでしょうね。おなかいっぱいになるまで好きなものを食べれば、たいがいの悩みなんて小さいことに思えてきてしまうものです。
井之頭五郎は、何一つ口に出すことなく、一人の女優の夢を守ったのかもしれません。ちょっと冷めてしまったけれどそれでもおいしいおやつを口いっぱいのほおばる彼女は、もう思い悩んでなどいません。あとちょっとだけ。このおやつを食べ終わったら……。




まずは、鉄板焼きです。
おお、広島ネギの青いこと。まるでピーマンのようだ。あっという間に腹ぺこモードに切り替わった彼は、満面の笑顔でぷりぷりぷりダコ、ホタテはぶりぶり、海のミルクの牡蠣は当然バターにぴったりだ! と、女の子のことなど頭の中から吹っ飛んでしまったようです。


アレ、ぜったい俺のだよな


俺のでした。その調理過程はまるで組み上げられていくお城のよう。
分厚い胎内にそばを内包してトッピングに海の幸で天守閣を築いたような壮大に大盛りのお好み焼き、それがHIROKIスペシャル。いよいよ主役の登場です。
ゴローちゃんも驚いてましたが、こういう具ったら普通は中に押し込められるモノですよね。上にどーんとぜんぶのっけてどうだ食ってみろと言わんばかりの偉容を誇っているとは、これは予想外にうれしいサプライズでしょう。


驚きながらも彼のへらさばきは手慣れたものです。さして崩すこともなく必要な部分だけ皿に盛ってキレイに食べ始めます。


ほふほふ


口に出すな! 萌えキャラか!
ある意味萌えキャラかもしれないな、許すか。


マジやばいですって、うまそうにそんなの食べないでよぉ。
腹減ったよぉう。


鉄板焼きはライブ感がある。一人なのに大歓声。鉄板は……ステージだ!!



満足感いっぱいで店を出た彼はその帰り道、件の劇場の前を通りかかりました。
ちょうど劇が終わったところでしょうか。舞台俳優たちが出口に並んで帰っていく観客たちにお礼を言っています。
その中に、ひときわ輝く笑顔の女の子を見つけた彼は、最高の笑顔の女優にも負けないような心からうれしそうな笑顔で、何も言わず立ち去っていくのでした。


そう。大人はそれでいいのかもしれません。遠くから見守っていてあげれば、それでいいのかも。



△▼△



さて、ふらっとQUSUMI。
HIROKIでは牡蠣は産地直送で市場を経由せずに新鮮なモノを仕入れているそうです。


素人では食べるのが難しい『麺入りお好み焼き・レタスそば』のレクチャーを受けて、野菜好きな久住さんは熱を通し食感が変わった上にレモンが効いて最高に画期的なお好み焼きに舌鼓を打っておりました。


ん。こういう、身近な食べ物が豪勢ですごい、ってキきますよね。
味がだいたい想像できて、その想像を何枚も上回って美味しいんだろうと今度は妄想してしまう恐ろしさ。
何が恐ろしいって、いま午前3時30分ですよ。朝ご飯までまだまだ長いじゃないですか怖い!

ていうか寝ろよわたし……。


では、長くなったしこのへんで、また。